卒業写真
データがメジャーな現代ですが、卒業写真だけは未だにデータではなく紙ベースです。
個人情報の観点からかもしれません。
さすがにもう個人の住所や電話番号は載っていませんが、基本的には昔から変わらない卒業写真。
ページをめくると、思い出が甦る仕組があるような気がします。
記憶のかけら
どうやら学生時代のことは、特別などこかにちゃんと保管されるようです。
ただ日常にもまれてフォーカスしていなかっただけ。
時にはページをめくってみるのも良いかもしれません。
その時から繋がってここにいることや、一緒に過ごした時間が確かにあったことを思い出す。
大丈夫なんだという感覚と、先に進む勇気がもらえるものです。
紙の写真に込められているもの
1枚の写真をみるだけで、声や音と共に思い出されます。
それから教室にあったストーブの燃える匂い。
学校によく持っていっていた花のある窓辺。
机と椅子の冷たさと、触れていた友達の腕のあたたかさ。
データの写真であっても、同じことを思い出すのかもしれません。
ただ紙には、データにはない何かが込められているように感じます。
紙には、過去と今をつなげる接点のような役割があるように思います。
紙と神
紙は神に通じています。
日本人は昔から、白い紙には神秘的なちからがあると信じてきました。
例えば、のし紙や、鏡餅の下にひく紙などもそうです。
それは、神と人間界の境にひく境界線のようなものなのではないかと思います。
かみのもの
紙と神と髪。
響きが同じなのは偶然ではない。
髪は、人間のからだの一番上にあり、神より賜った美しい自然の冠です。
髪は生前にも残し得る唯一の分身として、奉納できる神社もあります。
髪にも紙にも、神が宿っているように私には感じます。
髪を美しく保つよう心がけ、紙のページを丁寧にめくる。
たまにはそんな日があるのも、良いものですよね。