自己肯定感の高め方

自己肯定感は、どのように高めることができるでしょうか?

人生は、自己肯定感の高さによって決まると言っても過言ではありません。

自己肯定感は、生活の質にも大きく関わってきます。

無意識にも自分に相応しいと思う生活のレベルを選ぶとき、自己肯定感の高低の意識が根底にあると思います。

自己肯定感とは

自己肯定感とは、なんなのでしょうか?

「自己」「肯定感」の漢字にあるように、自己を肯定できるかどうか。

つまり、自分を認めるちからのことです。

すごいことができるから認めるのではない。

成功したから認めるのではない。

合格したから認めるのでもない。

自分がありのまま、ここにいることを認めることです。

自己肯定感が低いと感じるときは

思い通りにいかないとき。

期待はずれのとき。

人生には「受け入れられないこと」がたくさんあります。

しかし、受け入れられないということを許可することはできます。

どんなときも自分の内面や状況に関して、OKサインを出す。

自分を責めることはありません。

自分反省会もほどほどに。

過ぎたことではなく、今に心をもってくる。

すると、受け入れられないことがあることも、認められるようになります。

罪悪感

自分が存在してすみません。

この場所にいてごめんなさい。

他に行くところがなく、悪いな..。

私は子供の頃から、ずっとそんな風に思っていました。

生きていること自体に、罪悪感を持っていたのです。

ここにいてはいけない。

私にはその価値がない。

そう思いながら幼少期を過ごしていました。

無価値感

自分はいてもいなくても変わらない。

影響力もない。

必要ともされていない。

子供の頃は罪悪感とともに、無価値感にも襲われていました。

虚しすぎて、泣くに泣けない日々でした。

ものすごい人数の応援団

私には落ち込んで、自己嫌悪に陥っていたときが長くありました。

しかしつい最近、多くの応援団に見守られていたことに気がついたのです。

応援団とは、ご先祖様のことです。

親からつながる祖父母、祖父母の親、そのまた親...

果てし無い数のご先祖様から受け継いだバトンを受けとって、今、彼らの一番先頭を走っているのは他ならぬ私です。

街道沿いで応援してくれている、たくさんの応援団。

失敗も、絶望も、見守られているからこそ経験できました。

すべては幸せになるため。

見守られて無事にここまで、生き延びることができました。

バトンを次に渡す

子どもは、親の応援を一身に受け取ってくれます。

私は子どもの人生が良いものになるよう、惜しみなく応援したい気持ちでいっぱいです。

こんな気持ちで、ご先祖様も応援してくれているに違いありません。

ただただ健康でいてほしい。

無事を祈る気持ち。

楽しい時間をたくさん過ごしてほしいという思い。

それ以外にはないというくらい、シンプルな願いだと思います。

こんなにも大きなご先祖様からの愛を今まで受けとり拒否してしまっていました。

それは、自己肯定感が低かったからだと思います。

自分には価値がないと思っていたから、受けとることができていませんでした。

人間ダモノ...

自己否定をやめる。

どんな自分も自分と肯定すると、自己肯定感は高まるものです。

人間だから、完璧じゃないのが当たり前。

ラクしたい。

逃げたい。

面倒くさい。

自己否定してしまう。

こんな自分は嫌だ。

そんな自分さえ、肯定していきましょう。

人間ダモノ...!

この世には色々ありますが、大丈夫。

生きてるだけで、「生きる」というものスゴいことをやっているのです。