無価値感との戦い
自分の子どもには、自己肯定感を持ってほしいと思っていました。
その理由は、自分自身の自己肯定感が低すぎて、とても辛かったからです。
人生は、自己イメージで決まります。
このような状況がふさわしいと、心の深い底で思っている通りになっていくものです。
価値は誰が与えるのか
子どもにとっては、親をはじめ周りの大人が絶対的な存在です。
だから子どもは、大人がどのように自分を扱ってくれるかで、自分の価値を決めてしまいがちなのです。
気にかけてもらえていないと、自分には気にかけてもらう価値もないのかと思ってしまうのです。
表に出さずとも。
静かな雪のように降り積もっていくモヤモヤ。
そのように思いながら育つと、反発したり、逃げたりしてしまいます。
たとえ大人になって素敵な状況が現れたとしても、自らそれを壊してしまうのです。
無意識にも、ふさわしくないと思って。
矢印の方向
なんのために生まれてきてしまったのだろう。
いつもそんなことを考えながら生きていました。
苦しいから、当然です。
どうすれば幸せになれるんだろう?
とにかく自分の幸せにしかフォーカスがありませんでした。
失敗したのも当たり前です。
ごめんね。
枯渇しすぎていて、相手の幸せを考える心の余裕すらなかったのです。
輝石
何がしてもらえるかではなく、相手に何ができるか。
関心の矢印は私に向けるのではなく、周りに向けるものでした。
もちろんそれは、自分が満ちていなければ、余裕がなくてできないもの。
すでにあるものに注目して、器は深くありたいものです。
文句の代わりに称賛を。
ムッとした表情をほほえみに。
無価値感との戦いの末に獲たものは、まるで当然であるかのように、本当に愛されているんだという感覚でした。
凍っていた心がじんわり溶けていく。
刺さっていたトゲもとれていく。
反対を経験したから、今、その歓びが感動的に煌めいています。
どうしたら相手が嬉しいか?
子育てをほとんど終え、そんなことを考えられる私になれたのは、君のおかげ。